03. ほどけたぬくもり




「お前さ、雲中子の事どう思う?」
道徳からの突然の問いに、太乙はドキリとした。
「え? え? えええ? 何が?」
「……好きなのか?」
「そ、そりゃ、好きか嫌いかで言えば好きだよ。研究分野が似通っているからね」
「それだけか?」
「も、勿論」
「本当に、それだけか?」
「そうだけど、え? え? 何、急に」
太乙が笑顔をとりつくって問うと、道徳が珍しく溜息をついた。
「お前さ、雲中子の事が好きなんじゃないのか?」
「いやほら、私は霊珠一筋だからさ」
「答えになってない」
「親ばかと呼んでくれて構わないよ」
「呼ばない。俺だって弟子は大切だからな」
道徳はそう告げながら、太乙の心境を直感的に把握して、肩を落とした。
「何でよりによって変人なんて噂が立ってる雲中子なんだよ」
「確かに雲中子は変だけど、別に私は――」
「やっぱり好きなんだろ?」
「だからさ、好きか嫌いかで言えば――」
「恋してるんだろ」
「え、えええ?」
太乙は半ば自身の中で答えを持っていたから、曖昧に対応してみせる。
逆に、どうしてそれ程熱心に道徳が尋ねてくるのか、そのことの方に興味を抱きさえした。
「突然何なの? 私が誰を好きだったり嫌いだったりしたからって、道徳に関係ないじゃん」
「大ありなんだよ」
「どういう事?」
「その、お、俺も好きだから」
続いた道徳の声に、ぽかんと太乙は口を開けた。
「へ?」
「俺も雲中子の事が好きなんだよ」
「え、あの変人の雲中子の事が?」
「ああ」
「さっき君、ボロクソにけなしていたじゃないか。その雲中子の事が?」
「そうだよ。そこも含めて俺は、雲中子の事が好きだ」
「全然気がつかなかった。だって君達が一緒にいる所なんて見た事がないよ」
「毎朝、修行のランニングの時に会ってる」
「毎朝!? 私だって、せいぜい月に二・三度なのに」


「随分と面白い事になっているようですね」
黒点虎の千里眼で、事の次第を見守っていた申公豹は、雲中子の傍らに座り、饅頭に手を伸ばしている。
「何が面白いのかさっぱり分からないんだけどねぇ」
湯飲みに白茶を注ぎながら、雲中子が嘆息した。
「貴方を挟んで三角関係が出来ようとしているのです。これを面白くないと言ったら、一体何が面白いのでしょう」
「申公豹、君が好きだの嫌いだのといった世俗的な感情に、そこまで喜ぶとは思わなかったよ。趣味が悪いの一言に尽きるね」
「雲中子、今回に限って言えば、それは私にとって褒め言葉です」
「ああ、そう。はい、頼まれていた仁丹」
雲中子は興味がなさそうに頷くと、事務的に申公豹へと紙袋を差し出した。
「有難うございます」
「用が済んだなら、早く行きなよ」
「今日は随分と冷たいのですね」
「別に」
「私に対する貴方の温もりは、もうほどけてしまったのですね」
大げさに嘆くような仕草をしながら、申公豹は立ち上がる。
「絡まないでもらえるかな」
「絡んでいるのではありません、雲中子。貴方は、『また』気づかないのでしょうかと言っているのです」
「どういう意味だい?」
「ほどけた温もりは、戻っては来ないのですよ?」
そう告げると、冗談めかしてフっと笑い、申公豹が雲中子を後ろから抱きしめた。
「君は、”誰”のことを言っているんだい?」
「さぁ?」
申公豹の腕が離れた後、雲中子は、いつか誰かにもっと力強く抱きしめられた事があったなと思い出した。
そうして申公豹が帰るのを見送ってから、雲中子はポツリと独りごちた。
「ほどけたぬくもり、か」