01. 違う何通りもある世界




いくつものウィンドウが開いている空間。
一つ一つの幅は、数mmだ。
そこに映し出された世界――違う、何通りもある世界の姿。
あるいはそれは、誰かにとっての今、在りし日の未来でもあった。
「老子」
雲中子が姿を現しても、太上老君は変わらずウィンドウを眺めたままだった。
「老子」
帰ってくるのは、ただの無言。
青緑色の髪をした青年にしか見えない彼は、橙色のアウターの袖を揺らしながら、在る特定のウィンドウを凝視している。
ジョカが『前々回』壊した世界が、泡沫じみた夢として、そこには浮かんでいた。
「老子――……師匠」
嘆息しながら雲中子がそう告げると、髪と同色の瞳を揺らし、老子が顔を上げた。
「何?」
「貴方は、”此処”ではない場所で生きる、幾人もの私を知っているのですか」
本当は単に、怠惰スーツの整備が終わった事を告げに訪れただけのはずだった。
けれど雲中子は、問わずには居られなかった。
「だったら?」
「何故、――」
「貴方も燃燈道人と同じ事を問うの? 何故これまで、見過ごしてきたのかと」
「燃燈がそんな事を? いいえ、違います」
「だったら、何?」
「何故、私に期待しないのか、と」
「貴方には期待をしているよ、雲中子」
師の返答に、雲中子は黒い瞳を半眼にした。
「私はきっと聞仲を倒さない。今回の私は」
「貴方がその役を担う封神演義は終わった、ただそれだけの事だよ」
「そうですね。私が倒す事、それは”歴史の道標”が望む封神演義なのだから」
「だからきっと、貴方は辛いんだろうね」
「それが、分からないのです」
違う何通りもある世界の中で、あるいは”敵”を率先して倒す自分が居たのだろう事は、雲中子にも分かっていた。
何せ一つ”前”の、『封神演義がジョカの知る原作に似通った世界』の記憶を、彼は持っているのだから。

「雲中子?」

我に返ったとき、雲中子は昼の合間の惰眠を貪っていた自分に気がついた。
声をかけ、彼をのぞき込んでいるのは、清虚道徳心君だった。
「おや、道徳。二百年ぶりだね」
「そんなに経ったか?」
そんな二人に対して、太乙真人が嘆息した。
「一昨日も三人でお茶をしたと思うんだけど」
気がつけば、雲中子の座っていた椅子の正面の卓には、様々な飲茶が並んでいた。
「確かにそうだよな――それにしても、珍しいな。俺たちが来たのに、雲中子が目を覚まさないで寝てるなんて」
道徳のそんな言葉に、先ほどまで顔を合わせていた老子の事を、雲中子は思いだした。
夢を渡り、夢を盗み視ている師匠との静かな邂逅を。
「君達が今の通りの君達ではなくて、こうしてお茶をしない過去あるいは未来もあるんだねぇ」
ポツリと雲中子が呟くと、道徳と太乙が揃って顔を向けた。
「寝ぼけてるの、雲中子」
「そうだぞ。俺たちがお茶をしないなんて事、これまでにあったか?」
道徳の言う”これまで”が、この世界で出会ってからだと言う事に過ぎない事実に、雲中子は思わず苦笑をこぼした。
「そうだね、太乙の言うとおり、寝ぼけていたみたいだよ」
「また遅くまで実験してたの?」
太乙が黒い髪を揺らしながら尋ねる。
「そんなようなものかな。ただ少し――いつもより夢見が悪くてねぇ」
応えてから雲中子は、静かに双眸を伏せた。

何通りも世界があろうとも、それでもなお、この”今”を切望してやまない自分に気づいたからだ。

――だけどそれは。
きっと自分が傷つかない代わりに、二人に大きな傷を残すのだろう。

だから、きっとこの願望は、正しさなんて少しもないはずだ。

「今日の茶菓子は一体何だい?」

思考を振り払い、雲中子は卓へと視線を向けた。
瞬きをする度に、脳裏をよぎる悲惨な未来になど、気づかぬふりをしながら。
しつづけながら。
それでも今を、ただ楽しむために。