03. つかの間のたわむれ




十二仙になって、最初の夏。
道徳は、いつもの通りに朝の修行の最中に、雲中子の洞府を訪れた。
けれど、いつもとは異なり、道徳は決意していた。
――今日こそ、雲中子を人間界への旅行に誘ってみせる!
目指す終南山につくと、いつもと変わらぬ様子で雲中子は草花に水を与えていた。
「や、やあ」
かける声が震えてしまった事を自覚して、道徳は唾を嚥下する。
「ああ、道徳。今日も元気そうだね」
「お、おぅ。俺はいつだって元気だからな!」
「それは良かったねぇ」
「そ、そういえば、も、うすぐ、夏だな」
「道徳は夏がよく似合うようだねぇ。私は暑いからあんまり好きじゃないけど」
「そんな事言って、また実験室にこもるんだろう」
色白の雲中子に対し、道徳はつい零した。
「実験室は冷房が効いているからねぇ」
「よくないぞ。季節の暑さをちゃんと楽しんで、外へ――……」
そう告げながら、これは旅行へ誘う絶好の機会ではないかと、道徳は思い当たった。
「……――外へ、一緒に出かけないか?」
「たまには良いかもしれないねぇ」
緊張しながら道徳が告げると、雲中子が世間話の続きのように語った。
無論、雲中子からすれば、社交辞令だった。
雲中子は、道徳に対する恋心を自覚しつつあったが、それを表に出す気はなかったからである。
「じゃ、じゃあさ、海! 海に行こうぜ!」
「私、泳ぐの好きじゃないんだよね。釣りにしたって、どうせ生臭は食べられないし」
「じゃあ山! キャンプなんてどうだ?」
「それなら薬草採取もかねて、行きたい場所はあるけど」
「よし、決まりだ!」
「日程が合えばね。太乙の研究にも必要だろうから、声をかけてみてもらえる?」
「え、太乙も?」
「なんだい、なにか問題があるのかい? 喧嘩でもしたのかい?」
「いや、そういうんじゃなくて……だぁぁ、分かった。太乙にも声をかけてみる」
――俺の、チキン!
二人で行きたいと上手く伝えられなかったものだから、道徳は頭を抱えた。


けれど、それでもつかの間の戯れの時間が訪れる事となった。


「あーあーあー暑いよー」
太乙が手で仰ぎながら、呟いた。
「黒は熱を吸収するからねぇ」
応えた雲中子はといえば、太乙以上に厚着に見えるにも関わらず、どこか涼しげだ。汗一つかいている気配がない。
そんな二人を眺めながら、道徳は三人分の荷物を地へと置いた。
「お前ら少しは持てよ」
「いいじゃないか。君いっつも筋トレ筋トレ言ってるんだし」
「太乙だって研究研究いってるだろうが」
「太乙の場合、荷物持ちは研究にならないからねぇ。あ、道徳、テントはあの辺に張ったらどうだい?」
「おう、まかせ――え、俺が一人でやる感じ?」
雲中子の言葉に、反射的に威勢良く返答しようとした道徳は、状況に気がついて顔を上げた。
「君も言ったとおり、太乙はこれから研究のサンプルを採取に行くからねぇ」
「そういうことで私はちょっと行ってくるよ」
太乙は笑顔で、手をひらひらと振った。
「おい、待っ――」
それを道徳が引き留めようとすると、彼の耳元で太乙が呟くように言った。
「折角雲中子と二人になれるように気を回して上げたんだから」
「あ」
思わず声を上げ、それから頬を染めた道徳に太乙は再び手を振ると、森の中へと消えていった。
残された道徳は、テント設営の道具を持つ。そうしながら、なにやら荷物の点検をしているらしい雲中子を一瞥する。
「お、お前は、太乙と一緒に行かなくて良いのか?」
「私が必要としている薬草は、夜にしか咲かないんだ。だから食事と明かり取り用の火でもおこそうかと思うんだけど、この辺りでどうだい?」
「いいんじゃないか――え、お前、火起こせるの?」
「私もいい年だからねぇ。野営ぐらいした事があるよ」
テントを張るため、地面に釘を打ち込みながら、道徳は頷いた。
――まだまだ自分は、雲中子の事で知らない事が沢山ある。
「その時は、一人だったのか?」
「一人だった事もあれば、二人……そうだねぇ、色々だねぇ」
「二人で? それって俺の知っている奴か?」
「知ってる人間の中だったら、燃燈とか」
「燃燈様……」
「君はもう十二仙なんだから、様をつける必要はないだろう」
世間話の雑談といった調子の雲中子とは反して、道徳は俯いて嘆息する。
「――珍しいね、君が溜息をつくなんて」
手際よく火をおこし終わったらしい雲中子が、その姿に気がつく。
「雲中子と燃燈さ――燃燈って、仲が良いんだな」
「どうだろうねぇ。悪くはないと思うけど」
そんな回答に道徳が、視線をさらに落とした。
「君や太乙との方が、仲は良いかもしれないねぇ。燃燈とは、腐れ縁みたいなものだから」
しかしその言葉で、道徳の顔がパッと明るくなった。
太乙と同列の扱いというのは、まだまだ友人の域を出られていないからなのだろうと思ったが、それ以上に雲中子に仲が良い相手と認識されている事が嬉しかったのだ。

こうしてつかの間の戯れの時間は、緩慢に過ぎていったのだった。