02. 終焉へのカウントダウン
清虚道徳心君が十二仙へと昇格したのは、冬の終わりの事だった。
色づき始めた蕗の薹、ツクシ。
玉虚宮で祝賀会が行われたのは、夜桜が舞う満月の夜だった。
「おめでとう、道徳」
太乙真人はそう声をかけると、人だかりの中心にいる道徳の元へと歩み寄った。
「おぅ、太乙。有難うな」
太乙は先に十二仙に昇格したものの、道徳の同期だったから、気安さは変わらない。
もっともそう思っているのは道徳と当の太乙だけで、十二仙の地位にいる太乙の姿に、道徳の周囲の人混みは道を空けた。
そんな彼らに笑顔を振りまき片手をあげてから、太乙は道徳の隣に立った。
「雲中子にはもう会った?」
周囲の喧噪の中、道徳にだけ聞こえるよう、耳元に唇を近づけて太乙は尋ねた。
「まだなんだよ。一番に報告したかったのにな」
すると項垂れた子犬のように、道徳が視線を落とした。
「そうだろうと思ったよ。さっき、雲中子がテラスから出ていくのを見かけたからさ。耳に入れておこうと思って」
「なんだよアイツ、こんなにうまい飯があるのに、外にいるのか?」
「そうみたい。何してるんだろうね」
「ちょっと、俺見てくるわ」
「主賓がいなくなってどうするの」
「だけど俺、雲中子に自分の口から伝えたいんだよ」
「仕方がないなぁ」
肩を竦めた太乙に手を振って、道徳はテラスへと向かう。
それから手すりを乗り越え、その先で満開に咲き誇る桜の木を見上げた。
すると左端の大木の枝の上に、愛しい相手の姿を見つけた。
「なにやってんだよ、こんな所で」
木をよじ登り、道徳は声をかける。
――それにしても、雲中子は良くこんな所に上れたな。
そんな事を思いながらまじまじと横顔を見ると、ほんのりと雲中子の頬は朱くなっていた。
見れば手元には日本酒の猪口がある。
「お前、なんだか桜みたいだな」
「どういう意味だい、それ」
「綺麗だって事……あ、いや、その。だから、頬が、さ」
「赤いって事かい? 酔いが回ってきたのかねぇ」
「そうだ、そうだよ、何で一人で飲んでるんだよ? こんな場所で」
「こんな場所? 姦しい会場より、よっぽど風情があると思うけどねぇ」
「確かに、桜も月も、綺麗だよな、此処でみると」
――だけど一番綺麗なのは雲中子だ。
しかしそれは言葉に出来ないまま、道徳は月を見上げた。
「俺、さ。雲中子に自分の口から報告したいんだ。その、さ、俺、やっと十二仙になれた」
「そう」
道徳は、雲中子が褒めてくれるだろうと期待していた。
そしてその期待を、雲中子はよく分かっていた。
だから、唇の両端を、無理矢理に持ち上げる。
「おめでとう、道徳」
けれどこれは、雲中子にとっては紛れもない、終焉へのカウントダウンの幕開けだった。
「……なんで、そんな顔するんだよ?」
「え?」
自分はちゃんと笑えているはずだと、雲中子は思った。
「何で、何で泣きそうなんだよ?」
しかし、それまでとは異なる真剣な表情で、道徳が尋ねた。
「私が泣きそう? どうしてそう思うんだい?」
「見れば分かる」
「――そう」
雲中子は、苦笑を浮かべると、天を仰いだ。
「月と桜に感動していたんだ。地球が、君の昇格を祝っているみたいだなぁって」
「地球が?」
「君が十二仙になったのは、君が優れているから、というのは当然の事として――君が世界に愛されているからだと思うよ。それが、嬉しくて悲しくて仕方がないんだ。世界が恋の好敵手じゃ、勝ち目がないからね」
「――へ?」
「どうかしたのかい?」
「こ、こ、こ、こ……恋?」
「うん?」
「お前今、恋って言ったか?」
「言ったかも知れないし、言ってないかも知れないねぇ」
「どっちだよ!?」
「そんなの些末な事じゃないか、君の昇格に比べたら」
「サマツって何の事だ? よく分からないけど、俺にとっては、大きな事なんだよ」
「どうして?」
「俺、俺、ずっと、ずっと言おうと思ってたんだ。十二仙になったら。お前と対等になったら。俺は、清虚道徳心君は、雲中子! お前の事が好きだ!」
「知ってるけど。私も君の事は好きだよ」
「ほ、本当か?」
「私は良い友人を持ったと思ってるよ、祝賀会の席を外してまで私なんかを探しに来てくれるなんて」
「友人……いや、それより、なんかってなんだよ。お前『だから』探しに来たんだぞ」
「おや、友人ですらない他人だったのかい、寂しいねぇ」
「何でそこで戻るんだよ段階が。友人以上って言いたいんだよ俺は」
「なんだかお酒が思ったより回ってるみたいで、一人じゃここから降りられそうにないや。道徳、何とかして」
「そ、そりゃ良いけど、って、おい、聞けよ俺の話を」
「聞いてる聞いてる」
「酔っぱらいじゃないか、ただの……はぁ」
深々と溜息をついてから、道徳は雲中子を抱きしめて、地上へと降りた。
「君って、思ったより体温が高いんだね」
「なッ」
雲中子の不意な言葉に、照れて道徳は頬を染める。
「冗談だよ。ジャージ越しじゃ分かるわけ無いだろう」
地におり、一人で立った雲中子は、手にしていた徳利を、道徳の目線の高さまで持ち上げた。
「おめでとう、道徳」
――嗚呼、純粋に喜ぶ事が出来れば良かった。
雲中子は一人内心そう思いながら、静かに目を伏せたのだった。