蓬莱山の警備をする傍ら、何度も燃燈道人に挑んでは敗北していた雷震子がある日言った。
「オレ様にも、術を教えてくれ」
そこは執務室だったから、自然と楊ゼンの耳にも入った。
「そもそも仙術とは、僕の変化の他には残っていないのかと思っていました」
パタンと書類の束を閉じ、新しい教主もまた顔を上げる。
「是非一度、仙術について詳しくお聞きしたいと思っていたんです」
その言葉に燃燈は腕を組んだ。
張奎はたまたま席を外している。
「仙術は、かつての仙道の主な武力だ。ただそれだけだ」
「だからそれの使い方を教えて欲しいって言ってんだろうが」
雷震子のその声に、燃燈は細く息をつく。
「では雲中子に直接習えば良かろう」
「あの馬鹿師匠が、仙術を使えるって言うのか?」
驚いて雷震子が言うと、燃燈は思い出すように深々と頷いた。
「それはもう、あの時の雲中子の強さと言ったら無かった。私でさえ深手を負った水竜を一撃で倒したのだからな。あの当時は未だ、宝貝よりも仙術が主流だったのだが、私は今に至るまで、雲中子よりも雷と風の術に長けた者は知らない。何より雲中子の使う仙術は、私とは異なり、まるで流れるような――自然と一体であるような、泰然自若という言葉がふさわしい術の使い方なのだ。本当に、美しいの一言に尽きる」
4.過去の美化はやめてくれる?
術を教えろと迫ってきた雷震子を口先八丁で追い返した後、深々と雲中子が溜息をついた。そうしていると、騒動の原因である燃燈道人が、見計らったように訪れた。
「ちょっと燃燈。過去の美化はやめてくれる?」
「美化などした覚えはないが」
「君、雷震子に何か言っただろう」
「少し昔話をしただけだ」
「過剰に装飾して?」
「別に。思ったままを伝えただけだが」
「君の中で私は一体、どんな天才仙人になって居るんだか」
「間違ってはいないだろう」
「医術においては、そう呼ばれる事は誉れだと思っているけどねぇ」
「仙術に関しも、お前は玄人だろうが」
「昔の話だよ。今は修行すらしていない」
「だからといって忘れたわけではないだろう」
「弟子に、雷震子に、術を教えられるほどの力なんて私にはないんだよ。あの子が望んでいるのなら、私も頭を下げるから教えてやって欲しいものだねぇ」
「お前も弟子をとって仙人らしくなったのだな」
「君の中の私像は、一体どうなってるんだい?」
「修行を重ねても日に焼けず、白い透けるような肌、汗一つかいた様子はなかったな、いつだって。そして夜のような黒い髪に、涼しげな瞳。同じ年の頃で、これ程までに飄々として美しい者が居るのかと、はじめは目を疑った。異母姉様に匹敵するほどの綺麗な生き物を初めて見たと思ったものだ。同性だと分かっていてもな」
「だからさ、過去を美化するのは――」
「過去に限らず、今もそう思っている」
「……君って、恥ずかしい奴だよねぇ、昔も今も」
忘れ物を取りに戻った雷震子は、二人のそんなやりとりを聞いて、あっけにとられていた。
自分の帰宅にも気がつかないほど、珍しく怒りと羞恥で我を忘れている様子の師匠。
――あの二人が、古い知り合いって言うのは本当だったのか。
一人そんな風に納得した雷震子は、忘れたものの事は諦めて、二人に気づかれる前に洞府を後にしたのだった。