04.この空の下の、限り無く閉ざされた世界



時報が鳴らなくなって、数百年が経過した。
崑崙山の動向など、雲中子が知らせなくとも、申公豹が老子に伝えているようだった。
だからなのか、老子との夢の中での邂逅も長い事途絶えている。
この崑崙山にとどまっている数千年の間雲中子は、終南山は玉柱洞の実験室に、ほぼこもりきりだった。朝も昼も夜も、気にしない生活だ。
農業支援宝貝と清掃用宝貝を作ったから、自給自足の気ままな生活をしている。
それでも時折、ふと庭に出てみるのだ。
するとそこには、何処までも続く青い空が広がっている。
けれど雲中子は、限りなく閉ざされた実験室という世界にいる事を好んだ。
「雲中子様、公主様の来月分の薬を」
来訪者はといえば、白鶴童子ばかりである。
「へいへい」
用意してあった仁丹を渡すと、すぐに白鶴は帰って行く。
だからこの限り無く閉ざされた世界には、雲中子ただ一人だけが居るも同然だった。
たった一人の実験室。
その壁に背を預けて、雲中子は嘆息した。
「本当に私が待っていると、アイツは思ってるのかな」
思い出した”友人”の赤い髪を、脳裏から消し去ろうと、雲中子は首を振った。

ビビビビビビビ――……。

その時、来訪者を告げるベルが鳴り響いた。
「一日に二人も来客があるなんて、珍しい事もあるもんだねぇ」
呟きながら雲中子は、エントランスへと向かった。
インターホン越しに相手を確認すると、そこには大荷物を抱えた青年が一人立っていた。
「なにか?」
扉を開け放ち雲中子が問うと、青年が荷物の横から顔を出した。
「あの、雲中子様、ですよね?」
「そうだねぇ。確か君は、十二仙の――」
「あ、私は太乙真人といいます。太乙って呼んで下さい、雲中子様」
「私の事も雲中子で構わないけど……なにか、用?」
というか、その荷物は一体何だ、と、雲中子が尋ねる前に、エントランスの床の上に太乙が荷物を置いた。
「嗚呼、重かったぁ」
「それはそうだろうけど、で、用件は――」
「そう、用件! 実は今、私は宝貝人間を造っているんだ」
「宝貝人間?」
「うん、そう。それで、生物学にも医学にも精通している雲中子様に相談に乗って欲しくて――相談に乗ってくれるって原始天尊様が言ってたんだけど……」
威勢良く喋っていた太乙は、徐々に顔を曇らせていく雲中子の姿に、声を細めた。
「私に協力できる事があるのなら、協力は惜しまないけど……」
「良かった! 原始様から話がいってないのかと思っちゃった」
「うん、話は来てないねぇ」
「えッ、あのジジイ、ぼけてるのかな」
「それには同意するよ」
「気が合うね!」
「それについては、今は断言できないよ」
「冷たッ」
「君に温かく接する義理はないからね、太乙真人だっけ?」
「太乙で良いです、本当に。私、玉虚宮にある雲中子様の著作全部読んでます。だからずっと、ちゃんと会って、話がしたかった」
爛々とした瞳で見上げてくる太乙に対し、雲中子は肩を竦めた。


仙人界は閉ざされている。
人間界よりはずっと、科学技術が進んでいるのだとしても。
雲中子が知る『自由』とは、異なっている。
そんな場所で、何かしようと思い立ち、文献を綴った事もあった。
それがこんな形で効果を発揮するとは思わなくて、雲中子は苦笑しながら、空を見上げた。

この空の下の、限り無く閉ざされた世界で。