安定なピエロ
――砂礫が過去の文明を風化させ、その痕跡を消し去っていく。
先ほどまで雨季と乾季しかない砂漠にいた申公豹は、終南山へと降り立った。
そして降りしきる雨の中、黒点虎の頭を撫でた。
行き先を桃源郷と迷ったが、採取した物質の事が気にかかったから、この玉柱洞へと訪れる事にしたのだった。
玄関の前に彼が立った時、一足早く扉が開いた。
「やぁ、申公豹。珍しいねぇ」
そこにはタオルを持った、白衣の雲中子の姿があった。
「気になるモノを見つけたもので」
申公豹が通されたのは、リビングではなく、玉柱洞の第一実験室だった。
白が基調となっている洗練された実験室には、数多の試験管が並んでいる。
雲中子はそのアンプルの内の一つを手に取ると、申公豹から受け取った物質の端を少し砕いて、中の液体に浸した。
「これは、掘り出し物かも知れないねぇ」
「それが何なのか分かるのですか?」
「分からない――という事は要するに、君の探している大昔にあった文明とやらの遺物かもしれないねぇ」
「それは本当ですか?」
「少なくとも崑崙山では、これまでこういった物質は用いられていないのは確かだよ。どこでこれを?」
「西方の砂漠です。おかしな場所でした。砂の下には、液状化した硝子がひしめいていましたよ。スーパー宝貝を用いても、あのように広範囲に灼熱をもたらす事が出来るのか分からないほどでした」
「きっと酷い殺戮でもあったんだろうねぇ」
試験官を軽く振って揺らしながら、興味がなさそうな瞳で雲中子が呟いた。
「貴方は何かを知っているのですね、雲中子」
「私が? 一体何を知っていると言うんだい。そういう問いは、君の師にするべきなんじゃないのかい」
「あの寝穢い老子が果たして私の問いに答えてくれるのか」
「回答が返ってこない事は、君もよく知っているだろう? 老子からも、無論私からも」
雲中子はそう告げると、アルコールランプで熱した水出し珈琲をビーカーに注いだ。
それを静かに、申公豹へと差し出す。
訝る様子もなく怪しむでもなく、素直に彼は珈琲を受け取った。
そうしながら、頬のペイントを静かに撫でる。
その様を見て、雲中子が呟いた。
「前にも言ったと思うけど、その格好は随分奇をてらっているね」
「奇妙な帽子を被っている貴方にだけは言われたくありません」
実験台の上に腰掛けた雲中子は、真横に立つ申公豹を見上げた。
「道化師みたいだねぇ」
「人は見た目で判断するモノではないと、貴方が私に教えてくれたのではありませんか」
「そうだっけ? 忘れてしまったよ」
「私はピエロではありません」
「知っているよ」
「そして何より、私の眼前には、ずっと安定的なピエロがいるではありませんか」
「それは私の事かい?」
「全て識っているくせに」
冷め始めた珈琲を飲み干すと、申公豹は口角を持ち上げた。
「帰ります。珈琲、ごちそうさまでした」
残されたのは、空のビーカーと――……
「知っていなきゃ、ピエロなんて出来ないさ。それじゃあ、ただ不毛なだけだからねぇ」
ニヤリと嗤った、安定なピエロ。