均等な年輪
暫くすると、何事もなかったように、また決まった時間に燃燈道人は、玉柱洞を訪れるようになった。
燃燈は、時折何か言いたそうな素振りを見せたものの、雲中子は何を訊くでもなかった。
個人的な事柄、そうプライベートな事柄について、深く話し込むほど、自分たちの仲は良くないはずだと雲中子は考えていた。
そもそも仲が良いとは、どういう関係性だったのか。今となってはもう雲中子には思い出せなくなりつつある。
――手合わせをして、今日も雲中子が勝利した。
二人は清らかな仙人界の水を飲みながら、切り株の上にそれぞれ座っている。
「お前は強いな」
タオルで汗を拭きながら、燃燈が言う。
「そう? 君の方が体は丈夫だと思うけどねぇ」
雲中子の言葉に、燃燈が俯いた。
言った事を、雲中子もまた、後悔した。
――燃燈道人の異母姉は、体が弱いのだという。
人間界はおろか、仙人界の空気でも、万全な状況とは言えないそうだ。
所用があって玉虚宮の書庫へと出向いたときに、案内してくれた白鶴童子が訊いてもいないのにペラペラと教えてくれたのである。
「そうだな。私の半分でも、異母姉様のお体が丈夫であれば……」
「燃燈――」
「仕方がない事だというのは、分かっている」
それでも、たった二人きりの家族である。
決して失いたくはない。
無言の沈黙が、燃燈のそんな思いを、雲中子へと伝えた。
「私には、何も出来る事はないよ」
「……そうか。悪い」
「だけど、力になりたいと、少しだけ思ってもいるんだよ」
雲中子は、話と症状を耳にしてから、いくつかの薬を想定しては、気がつけば実験していた。元々生物学や医学が好きで、実験を繰り返していたのは、”この世界”が訪れる前から医師としての道に興味があったからなのかも知れない。
”今”とは違い、知識を簡単に脳へインストールできる世界だったから、雲中子が外見そのままの年齢だった時分であっても、簡単に知見自体は手に入れる事が出来ていた。
だから現在実験して再現しているのは、滅んでしまった世界の技術に他ならない。
それが正しいのか否か、その行いは禁忌ではないのか否か、雲中子には分からなかった。
その為、これまで一人ひっそりと研究を重ねてきたのだ。
ポケットに手を入れた雲中子は、気づけば持ち歩くようになっていた薬を静かに弄んだ。
――渡すタイミングがずっと、分からないでいる。
分からないで居たのだけれど、今だろうと雲中子は思った。
「もしかしたら、だけど。この薬が効くかも知れない。効かなくても人体に害はないよ」
「薬? 異母姉様への?」
「うん。効かないかも知れないけどね」
「これは、お前が作ったのか?」
「そうだよ」
「これを、くれるのか?」
「うん。好きに使って。まぁ私からすれば、人体実験みたいなものだけどね」
「……本当に大丈夫なんだろうな?」
「保証は出来ないよ。ただ自分で飲んでみた限り、大丈夫だったけどね」
「異母姉様のために、自分で実験までしてくれたのか、雲中子」
「たまたまだよ、たまたま。効くと良いんだけど」
「有難う」
「別に。本当にたまたまだから」
「私は素晴らしい友を得たと思う」
「ちょっと、やめてもらえるかな、そういうの」
「早速異母姉様の所へ行ってくる」
「好きにしなよ」
頷き立ち上がった燃燈は、走り出そうとして、一度振り返った。
「本当に有難う」
一人残された雲中子は、先ほどまで燃燈が座っていた切り株を、ぼんやりと眺める。
その均等な年輪は、同年代に見える二人の間の、友情の歩みを表しているようだった。